晩白柚ルポルタージュ

熊本に住む33歳の日記です。 2019年5月までトロントでワーホリをしていました。一人旅、カレー、キャンプなどについて書いています。

晩白柚の文章

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

年末年始はこれといって家から出ず、「古都」を読み返しておりました。

「古都」は1961年から1962年にかけて川端康成が発表した小説です。京都室町の呉服問屋の一人娘・千重子と、北山で北山杉と暮らす山娘・苗子の数奇な運命を、京都を彩る四季の情緒とともに描ききっている、僕が過去に読んだ小説の中で一番の傑作と言ってよい作品です。この作品を読むたびに京都への思いが募り、東京にいたころは毎年、京都を訪れていました。

「古都」のよさといえば、なによりもまずその切ないストーリーが挙げられます。北山でしぐれに遭い、苗子が千重子に覆いかぶさって彼女を守る場面や、千重子と苗子が布団を並べて一緒に眠るラストなどは、「古都」屈指の名シーンです。これらの場面で何度涙が出そうになったか、わかりません。一方、ストーリーは言うに及ばず、川端康成の書く日本語そのものの美しさも、我々を魅了して止まないところです。

「古都」冒頭も冒頭ですが、「春の花」の章、

もみじの古木の幹に、すみれの花がひらいたのを、千重子は見つけた。

「ああ、今年も咲いた。」と、千重子は春のやさしさに出会った。

もみじの木に咲いた2輪のすみれの花は、決して一緒になることのできない千重子と苗子の二人をあらわすメタファーですが、そんなことはともかく、「春のやさしさの出会った」という表現を見た時、僕の心に電気が走ったようでした。「春」の「やさしさ」に「出会う」なんて、いったいなにをどうすれば書けるのでしょうか。

ともあれ、この「古都」という作品の文章は、僕が畏敬の念をもって目標とし、しかし決して達することのできない到達点なのであります。

 

僕は昔から、文章を書くのは好きだが下手、という人間でした。少し、昔話をしましょう。

僕が文章を書くことを意識し始めたのは、小学6年生のころです。担任の先生がワープロで作成し、生徒に配布する「学級通信」を読み、「自分にも作れるのではないか?」と、妙な気を起こした僕は、父のパソコンを使って、先生の学級通信の体裁(フォント、文字幅、段組み‥)をすべて模倣し、しかし内容はバカバカしい「パロディ」を作りました。先生への受けは大変よく、コピーして生徒に配ってもらえたものですから、僕もそれに味をしめて、数回は発行したのを覚えています。

中学1年生の阿蘇合宿、2年生の修学旅行のあとには、クラスから1人ずつ作品を選抜し、1冊の学年文集を作るという企画があり、いずれも僕の作品が選ばれました。1年生の作品は「ムカデに遭遇したこと」、2年生の作品は「USJで財布を落としたこと」を題材にしたと記憶しています。特に2年生の時のものは「これを修学旅行の思い出として書くのははばかられるが、あえて書かせていただきたい。」という出だしの、今思うとかなり軽妙洒脱な作品でした。また、3年生のころには生徒会書記として、それまで長い間発行されていなかった生徒会新聞を自分の一存で復活させ、職員室のコピー機を我が物顔で勝手に使い、新聞を1200部刷りまくって全校生徒に配布するという、いわば我が世の春を謳歌する日々でした。

それまでの自分の文章に対する自信を大きくくじかれたのが、高校1年生の時に開かれた論文大会です。15歳だった僕は、反社会的・反体制的な、典型的なそういう病にかかっていて、大会のテーマを一切無視して「この大会には意義が見当たらない。」というようなことを書き殴りました。当然、大会の賞にはかすりもせず、この時僕は「俺の文章って駄目なんだ。」と痛感することになりました。

 

それから高校・大学・就職してからと、細々とこの「はてな」上で日記を書き続けてきました。どれだけ書いても一向に文章が上手くなった気がしないのですが、強いていえば、昨年(2017年)は少しだけ上達したかと思える記事が書けました。2月に北海道へ流氷を見に行った「男山、君の袖を濡らす」と、東京のお気に入りの町を散策した6月の「イシマツとジロウチョウ」です。この2本は、非常に軽快に、ノリにノッて書いた記事で、特に北海道の記事は当時読んでいた知り合い達から「いったいどうしたんだ」と言われるほど好評価でした。後にも先にも、これほどの熱量を持った記事は現れないと思っています。この2本とは逆に、2017年後半は割と駄文を垂れ流してしまったと反省しています。なにかしら本を読んでいる間は、アウトプットする日記もよいものが書けるのですが、なにも読まない日が続くと、途端に文章は駄目になってしまいます。昨年後半は、あまり本を読みませんでした。

川端康成のような流れるように美しい日本語を書きたい、というのはもちろんのことですが、この日記を書くうえでは、自分の原点「USJで財布を落とした」ころのように、読み手が読んでいて楽しいと思える、「読ませる」文章を書きたいと思っています。昨年、イトシマオから勧められた椎名誠を読み、ラフな文調のエッセイというものに触れました。今年はそういったスタイルを少し取り入れてみたいとも考えています。

 

自分の文章についてここまで長々と書けるとは思ってもみませんでした。ここまで読んだ方はそうとうな物好きです。12月30日・1月2日と、2日間に渡って我が幼馴染・檸檬(高校編・大学編・東京譚と幾度となく登場している。本名を一文字変えると晩白柚と同じ柑橘類になるので、日記ではこう呼んでいます)が僕の家に押しかけて来、晩白柚の文章と写真を肴に酒を飲みましたので、これを書いてみました。彼もまた、そうとうな物好きだと思います。